英国大使館の歴史
英国は、1859年以降日本に外交団を常設しています。最初の公使館は、当時の江戸(現在の東京)にある東禅寺に設けられており、寺院は品川駅近くに今も残っています。設置されてからの15年間、公使館は外交上の緊張や不満を抱く侍による襲撃などで、横浜、御殿山、泉岳寺、そして再び横浜へと移動を余儀なくされました。皇居前の一番町に位置する現在の敷地は、当時の公使、サー・ハリー・パークスが外交団の任務の大半が集中していた東京に横浜から移転することを主張した1872年以降使用されています。この敷地は、それ自体、明治政府の好意の印として提供されたもので、英国政府に永遠に賃借されたものです。
元々、赤レンガで建てられていた大使館の建物は、1923年の関東大震災で完全に倒壊し、1929年に大使公邸、本館、その他の建物が完成するまで、職員は臨時の木造建造物で生活し、仕事に従事していました。木造建物のほとんどは取り壊されましたが、大使のバンガローと呼ばれた建物の一部は、軽井沢のグリーンホテルの土台となりました。現在の建物は、震災後に完成した当時のものです。その後1987年、新館と呼ばれる二番目のオフィス用建物が完成しました。
第二次世界大戦中、英国人スタッフは大使館を後にしましたが、日本人スタッフの多くは敷地内に残りました。近くに落ちる焼夷弾で数本の木々が火に包まれましたが、敷地内にとどまった日本人が素早く対応したお陰で、建物とその内側は比較的無傷のまま切り抜け生き残ることができました。戦争終結直後、1946年5月に軍が常設されるまで、大使館全体は、英国海軍軍艦リターン号(H.M.S.Return)として就役しました。同年6月、大使館は通常の業務に戻り始め、‘駐日英国連絡公館’として知られていましたが、1952年4月、日本の講和条約をもって、漸く「英国大使館」という正式な名称を得ました。
英国大使館は、敷地内、またその周囲に植えられている桜の木で有名です。1898年、当時の公使サー・アーネスト・サトウが、東京の人々への贈り物として、またサトウの日本への愛情の印として、初めて桜の木を植えました。現在では想像もつきませんが、当時は花見をしながら富士山や海の見事な眺めが大使館から一望できたといいます。その百年後、紀宮清子内親王殿下のご臨席の下、英国祭UK98の一環として、新たに桜が植樹されました。この他にも、1975年エリザベス二世女王陛下が植樹されたオークの木や、当時の環境大臣で、後に外務大臣に就任した川口 順子氏が2002年グリーン同盟の開始を祝った植樹など、大使館の敷地内には記念の木々が植えられています。
敷地内には、大使館で召し使いとして50年間仕えた日本人職員タケダ フキさんと、第一次世界大戦で命をおとした大使館職員の記念碑があります。